古い町並みは、いつ誰が作ったの?
高山観光の見どころの一つ「古い町並み」は、江戸時代の面影を残す歴史ある場所です。
(写真は七夕飾りが付けられた古い町並みの様子)
しかし、それらがいつ頃、誰によって作られたのかは、地元の人も意外と知りません。
そこで、高山の歴史に詳しい専門家の方にお聞きしながら紐解いてみましょう。
高山の歴史に詳しい田中彰さんにインタビュー
お聞きしたのは、高山市史編さん専門員の田中彰(たなかあきら)さん。
飛騨地方の歴史について研究し、それを後世に伝えていくためわかりやすく解説した資料の作成などをされています。
今回は、その資料にまみれた市史編さん室に、ひだばこ編集委員のもっちがお邪魔して色々教えていただきました!
しかし…事前知識が全くないため難しいお話は頭に入ってきません。
高山にゆかりのあるキャラクターが最近出来たとのことなので、そこから歴史を紐解いてみます!
高山のNEWキャラ「かなもりくん」
つい最近、高山に新しいゆるキャラが誕生しました。
その名も「かなもりくん」!
えっ…誰!?と思うかもしれませんが、これは、飛騨を収めた大名・金森長近(かなもりながちか)を初めとした、
金森一族がモチーフになっています。
高山の街の礎を築いた金森長近
現代からさかのぼること430年前の戦国時代、羽柴秀吉が豊臣秀吉に改名した1586年に、
数々の戦いを制して飛騨国主となったのが金森長近でした。
(金森長近の肖像画 画像提供:金森公顕彰会)
その16年後に長近は、高山城を完成させたのです。そう、高山にはお城があったんです!
場所は今の「城山公園」。
高山の街は「高山城」を中心に作られました
長近は、その高山城を囲うように武家屋敷を作り、城下町に東西南北の街道を整備して商人を住まわせ、
寺院などを配置しました。
(次に出てくる地図に合わせてあえて横向きです)
その城下町の商人町(図ではピンク色の部分)こそが、今も残る「古い町並み」なんです。
(昔の高山城周辺の配置図 画像提供:金森公顕彰会)
現代の地図と照らし合わせると面白い!
上に、現代の高山市内散策マップを並べてみました。
昔の配置図と、宮川・江名子川の形を参考にしながらご覧下さい。
商人町は、高山城に近い方から一番町、二番町、三番町と名づけられたそうです。
これままさに、現在上・下に別れている古い町並みの一之町、二之町、三之町ですね。
東山寺院群も残っています。
昔の配置図の真ん中辺りに「寺」と書かれているのは、現代の高山別院照蓮寺です。浄土真宗の拠点寺院として配置し人々の心をやすめたと言われています。
こう見ると、高山の街づくりの礎は金森長近が築いたことがよくわかりますね。
そんな金森家は、長近から6代に渡って高山の町を繁栄させていきます。
その歴史を、これから少しずつご紹介していければと思います。
また、田中彰さんが編集に携わった歴史資料などはデータ化され、こちらのHPから見ることも出来ます。
より詳しくご覧になりたい方はぜひ!
https://trc-adeac.trc.co.jp/
高山城跡「城山公園」は市民憩いの場所
ちなみに、最初にご紹介したゆるキャラ「かなもりくん」のモチーフとなった
金森長近像は、高山城跡の「城山公園」で見ることが出来ます。
城山公園は、春は桜が咲き、秋は紅葉が見事な、高山市民の憩いの場でもあるので、散策の途中にぜひ訪れてみて下さい!
城跡だけあって高台にあるので道中の坂はちょっとキツイですが、気持ち良いですよ~!